親がボケてきました。
個人的にもう限界ですね。
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子の忠告を無視した親の末路
何も趣味もない親。
しかし、、『馬の耳に念仏』。
趣味もなく過ごすむなしい人生になることを懸念して、ここ数年何十回と自分の人生を生きて楽しむように言ってきました。
持病を押して、親のためにを本気で忠言しているのは世界で自分だけです。
こうなることが予想できましたから、今まで自分が勉強したことをアドバイスしてあげました。
しかし、それも焼け石に水。
全く効果がありませんでした。
子育てがしんどいと言っている人が理解できない
子育てがしんどいという人がいますが、理解できません。
子供は毎秒成長し、そのたびにもの分かりがよくなってきます。
要は、日々煩わしさが解消されていきます。
ましてや、現代の最先端科学で、洗濯・炊飯・湯沸かし、など便利なものが目白押しです。
移動も車などで快適に移動できます。昔みたいに子供を前後ろに背負って長い道のり歩かなくてもいい。
子供を背負いながら洗濯板であかぎれになりながら洗濯する必要もありません。
「親はなくとも子は育つ」ものです。
しかし、認知症は回復しません。
確実に「死」に向かって進んでいきます。話がかみ合わず、夜も寝れずに不眠症。ストレスによるコルチゾールの分泌で手足も違和感。動機や気後れ。まさにオンパレード。
子育てと認知症では次元が違います。
やはり、子育てがしんどいという人は理解できません。
やることがまったく無い人の不幸
「周囲に迷惑かけないように」人生を生きた結果、最終的に周囲に迷惑をかけるという皮肉も容易に想像できました。
暇を持て余すこと自体が不幸であり、才能がない証拠だそうです。
何も能力が無いことを嘆くのではなくて、何もすることがないことを嘆くべきなのです。
遊んでいる方がまだいい
論語の中にも、何もすることがなくてボーッとしている人より、まだ双六などでもいいから遊んでいる人の方がマシだと言います。
何もすることがないよりは何かした方が脳にとっても明らかにいいのは当然です。
運動ならなおさらいいのですが、そうでなくともいい。
遊んでいてもOKなのです。
それなのに何もしないということは、生きる気がないということでしょう。
『一隅を挙げて、三隅を以て反らざれば、則ち復せざるなり』。
もうどうすることもできません。
親戚やご近所は勝手なことを言います。
しかし、ハッキリ言いたい。
そう言うなら、「今すぐ替わってあげるからお手本見せて。それを俺はそっくりそのまま真似させてもらうから」と。
家族はもう僕だけです。
兄も膵臓癌で死にました。
すべての負担が自分にのしかかってきます。
かくゆう私も前に持病で倒れて救急車で3回搬送されました。
難聴の関係もあり、それからは自分で勉強して調べてリハビリです。
自分の体力や気力を確保するだけで精一杯です。
余命宣告後の兄と同様、「他の人のことはどうでもいい、考えられない」状況です。
自分のために生きる
病気になって初めて、他人のためではなく自分のために生きる意味を考え出しました。
自分を犠牲にする生き方は不幸の始まりだったのです。
親は大事とは言え、親のために持病のある自分を削って犠牲にするのは間違っています。
〝汝己を愛せよ〟
人のことは二の次
世の中、”自分のために”生きた人が成功している事例は多々あります。
『富を「引き寄せる」科学的法則 』にも、他人の不幸を考えてはならないとあります。
要は、まずは自分を幸せにする必要があるのです。
他人に施すのはそれから先の話です。
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