難聴が進行してきた。人生Extremeモードでも、自分の人生を自分に返す

最近、難聴がさらに進行してきました。

以前より明らかに聞き取りづらくなり、自分でも「前とは違う」とはっきり感じるようになっています。

おそらく、もう完全に以前の状態へ戻ることはないのでしょう。

そう考えると、やはり思うところはいろいろあります。

ただ、自分のこれまでの人生を振り返ってみると、真っ先に浮かんでくるのは、

「またか」

という言葉だったりします。

子供の頃から、自分ではどうにもできない事情によって生活が変わり、家族との別れも経験してきました。

そして今度は、自分自身の身体です。

人生ハードモードという言葉がありますが、自分の場合はもう少し上ではないか。

Extremeモードです(笑)。

それでも、何か壮大な希望を語ろうとは思いません。

今思っているのは、もっと単純なことです。

これまで十分に親や家庭、環境など、自分以外の事情に人生を左右されてきました。

だからこれからくらいは、

自分の人生を、自分の手に返してもいいのではないか。

今回は、進行してきた難聴のこと、手話を勉強し始めたこと、これまでの人生を振り返って思うこと、そして今の自分にとってブログを書く意味について書いてみます。

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目次

難聴が進行し、以前より聞こえにくくなってきた

最近、自分でも難聴が以前より進んできたことを感じています。

聞き取りにくい場面が増え、「これは気のせいではないな」と思うことも多くなりました。

聞こえにくくなるというのは、単純に音量が小さくなるだけではありません。

これまで当たり前だったことが、少しずつ当たり前ではなくなっていきます。

少しずつ手話を勉強している

そのため、最近は少しずつ手話の勉強も始めています。

まだ本当に少しずつですが、この先さらに聞こえにくくなったときのことも考えています。

今まで普通にできていたことが、少しずつ難しくなっていく。

それを受け入れるのは、やはり簡単ではありません。

「まあ仕方ないか」

と簡単に割り切れるほど、自分は達観していないようです。

ようやく見つけたギターという趣味

特に自分の場合、少し前からギターを練習していました。

これまで「これが趣味です」と言えるようなものがあまりなかった自分にとって、ようやく見つけた趣味でした。

「やっと自分にも、これと言えるものができたかな」

と思っていた矢先の耳の障害です。

音楽と聴覚は、当然ながら無関係ではありません。

せっかく楽しめるものを見つけたのに、その土台になっている聴覚に問題が出てくる。

なかなか人生というものは、こちらの都合を考えてくれません。

難聴が進行した今、これまで言わなかった本音を書く

こういうことは、今まであまり言わないようにしてきました。

言ったところで状況が変わるわけではない。

人に話したところでどうなるものでもない。

だから、なるべく自分の中で処理しようと思っていました。

ただ最近は、さすがに、

「もう無理だな」

と思うことがあります。

「なんで自分たちばかり」と思うことがある

正直に言えば、

「なんで自分や自分の家族ばかり、こんな思いをしなければならないんだろう」

と思うことがあります。

もちろん、人生には誰にでも何かがあります。

何も起きない人生など、おそらくないでしょう。

それは分かっています。

それでも、自分のこれまでを振り返ると、

「ちょっと多くないか?」

と思ってしまうのです。

自分で選べないことに振り回されてきた

自分の人生は、親の事情にかなり左右されてきました。

自分で決めたわけではないのに、環境が変わる。

生活が変わる。

家族関係が変わる。

子供だった自分には、それを受け入れる以外にありませんでした。

大人になってから振り返ってみると、自分で人生を選んでいるという感覚を持てない時期が、とても長かったように思います。

自分の人生くらい、自分で決めたい

だから今は、

自分の人生くらい、自分で決めたい。

そう思っています。

別に、大きな夢があるわけではありません。

「絶対にこれを成し遂げる」

という壮大な目標があるわけでもありません。

もっと単純な話です。

住む場所でも、

何をするかでも、

誰と付き合うかでも、

何を大切にするかでもいい。

これからの人生くらい、自分で選びたい。

今はそれだけです。

人生ハードモードどころかExtremeモードだった

改めて人生を振り返ってみると、本当にいろいろありました。

一つ一つだけを見れば、

「人生ではそういうこともある」

と言えるのかもしれません。

でも、まとめて並べると話が違ってきます。

親の不仲、借金、離婚で生活環境が変わった

子供の頃から、親の都合によって生活環境は大きく変わりました。

親の不仲。

家庭に無関心な父親。

その中で深夜まで内職をしていた母。

借金。

取り立て。

そして離婚。

その後は田舎へ移り、不便な生活になりました。

経済的にも余裕はありませんでした。

地方特有の、自分にはどうしても理解しにくい価値観によって、行動を制限されるように感じることもありました。

少なくとも当時の自分には、

「自分で自分の人生を選んでいる」

という感覚はあまりなかったと思います。

一番の理解者だった兄との別れ

そんな中で、自分にとって一番の理解者だったのが兄でした。

昔のことを共有できる。

家族のことも分かる。

説明しなくても通じる部分がある。

自分にとって、そういう存在でした。

ところが、その兄が病気になり、余命を告げられました。

そして兄だけではなく、その後も家族は一人、また一人と亡くなっていきました。

昔は家族がいることが当たり前でした。

それが今では、僕一人です。

気づけば、自分が生きてきた家族の歴史を共有できる人も、ほとんどいなくなりました。

そして今度は自分自身の難聴

そこへ今度は、自分自身の難聴です。

こうして書き出してみると、さすがに思います。

人生ハードモードどころではありません。

Extremeモードです。

ゲームなら、明らかに難易度設定を間違えています。

「誰がこんな設定にしたんだ」

と言いたくなる。

もう、笑うしかありません。

何かを手に入れると、また失う気がしてしまう

自分の人生を振り返っていると、ときどき共通して感じることがあります。

それは、

何かをようやく手に入れたと思ったら、また失われていく。

という感覚です。

これは単に難聴だけの話ではありません。

「これで少し落ち着ける」と思うと何かが起きる

安心できる生活。

家族。

理解してくれる人。

ようやく見つけた趣味。

何かを手に入れて、

「これで少しは落ち着けるかな」

と思う。

すると、また何かが起きる。

もちろん、実際にすべての出来事が関連しているわけではありません。

それでも、何度もそういう経験をすると、

「またか」

という感覚が先に出てくるようになります。

学習性無力感という言葉を知った

心理学には「学習性無力感」という言葉があります。

自分では状況を変えられない経験が何度も続くことで、

「どうせ何をしても変わらない」

と感じるようになり、行動する力まで弱くなっていく状態を指す言葉です。

この言葉を知ったとき、

「自分にも、少しこういうところがあるのかもしれないな」

と思いました。

何かを始めても、

「どうせまた失うのではないか」

という感覚がどこかに残る。

これはなかなか厄介です。

希望を持つことよりも、失うことを先に想像するようになってしまうからです。

難聴と付き合いながら、これからどう生きるのか

では、これからどうするのか。

そう聞かれても、正直なところ、大層な人生設計はありません。

「将来こうなりたい」

「何歳までにこれを達成する」

といった目標も、今のところ特にありません。

ただ、それを悪いことだとも思わなくなりました。

無理に夢や目標を作らなくてもいい

以前なら、

「何か目標を持たなければいけない」

と思っていたかもしれません。

夢を持つ。

目標を決める。

努力する。

そういう人生が正しいように思っていた時期もあります。

でも今は、

無理に夢を作らなくてもいい。

と思っています。

やりたいことが見つかればやればいい。

なければ、それでもいい。

人生には必ず壮大な目的が必要だ、という考え方そのものから少し離れてみたいと思っています。

いい意味で「自分勝手」に生きたい

ただ、一つだけ決めていることがあります。

これからは、いい意味で

「自分勝手」に生きる。

ということです。

もちろん、人に迷惑をかけて好き放題するという意味ではありません。

そうではなく、

「普通はこうするものだ」

「周りからどう思われるだろう」

「この年齢ならこうしなければならない」

そんな言葉に、自分の人生まで預けないということです。

自分の人生を自分に返す

今まで十分、自分以外の事情に振り回されました。

親の事情。

家庭の事情。

経済的な事情。

環境の事情。

地域の価値観。

そして、自分の力ではどうにもできない出来事。

だからこれからくらい、

自分の人生を自分に返してもいい。

そう思っています。

何を選ぶかも自分。

何をやめるかも自分。

どこで生きるかも自分。

少なくとも、自分で決められる部分については、自分で決めたいと思っています。

努力ではどうにもならない「天命」が恨めしい

僕は『論語』や『荘子』など、中国の古典を読むことがあります。

そうした本を読んでいると、人間には自分の努力だけではどうにもならないものがある、という考え方が何度も出てきます。

いわゆる「天命」です。

自分も、天命のようなものは確かにあると思っています。

生まれる場所も親も身体も選べない

人は、生まれる場所を選べません。

親も選べません。

時代も選べません。

生まれ持った身体も選べません。

人生には、努力ではどうにもならない条件が確実に存在します。

だから、

「努力すれば何でもできる」

という言葉には、昔から少し違和感があります。

努力によって変えられるものはもちろんある。

でも、努力だけでは動かせないものもある。

人生とは、その両方の間で生きていくものなのだと思います。

とはいえ天命にも限度があるだろう(笑)

とはいえです。

いくら天命だからといって、

限度というものがあるでしょう(笑)。

親や家庭の問題があり、

家族との別れがあり、

ようやく趣味ができたと思ったら、今度は難聴です。

さすがにこれは無理ゲーではないか。

「これも天命だから受け入れなさい」

と言われても、

いやいや、ちょっと待て、と。

もう少し難易度を調整してくれてもいいでしょう。

古典を読みながら、そんなことを考えることがあります。

荘子なら、こんな状況さえ笑って受け流すのかもしれません。

そこまで達観するには、まだまだ修行が足りないようです。

一人になった今、僕がブログを書く意味

そもそも、このブログを始めた一番最初の目的は、自分が出版した本の宣伝でした。

最初から何か壮大なテーマを持って始めたわけではありません。

「本を出したから、それを紹介する場所を作ろう」

本当に、それくらいの話でした。

ところが続けているうちに、ブログの意味が少しずつ変わってきました。

本の宣伝から始めたWordPress

最初は簡単なブログでもよかったのですが、

「せっかくなんだから、いろいろやってみよう」

と思い、WordPressを始めました。

すると、本とは直接関係のないことも少しずつ書くようになりました。

自分が経験したこと。

考えていること。

興味を持ったこと。

疑問に思ったこと。

そうしたものを書いているうちに、気づけばこのブログそのものが、自分の記録のようになっていました。

ブログは第一義的には自分のために書く

では、今の自分にとってブログを書く意味は何なのか。

一番大きいのは、

自分のために書くこと。

だと思っています。

誰かに何かを教えたいわけでもありません。

誰かを説得したいわけでもありません。

もちろん、読んでくれる人がいるのはありがたいことです。

検索から偶然このブログへたどり着き、読んでくれる人がいることも嬉しく思います。

ただ、第一義的には自分自身のためです。

一番伝えたい相手は自分自身なのかもしれない

ブログで一番伝えたい相手は、

もしかすると、他ならぬ自分自身なのかもしれません。

一人になってから、それを以前より強く感じるようになりました。

自分が何を経験したのか。

そのとき何を考えていたのか。

何を嬉しいと思ったのか。

何をつらいと思ったのか。

それを文章として残しておく。

文章にすることで、

「自分はこういう人生を歩いてきたんだな」

と、自分自身で確かめている部分があります。

記憶だけでは、時間とともに曖昧になっていきます。

でも文章にしておけば、そのときの自分が少しだけ残ります。

こうでもしないと自分を保てない部分がある

一人になって思います。

文章を書いたり、自分の考えを残したりすることは、思っていた以上に自分にとって大切なのかもしれません。

こうでもしないと、自分を保てない部分もあります。

だったら、それでいいと思っています。

ブログくらい、自分の好きなことを書けばいい。

誰かの期待に応えるためでもなく、

世間に合わせるためでもなく、

検索順位だけを追いかけるためでもなく、

自分自身のために書けばいい。

難聴が進行しても、自分の人生まで失う必要はない

難聴が進行していることを、前向きに受け止められているのかと聞かれれば、そんなことはありません。

聞こえなくなるのは嫌です。

できていたことができなくなるのも嫌です。

「なぜ自分なんだ」と思うこともあります。

それを無理にきれいな話へ変える必要もないと思っています。

ただ、自分ではどうにもできないことがある一方で、自分で選べることもまだ残っています。

どこで暮らすか。

何を書くか。

何を楽しむか。

誰と付き合うか。

どんな価値観を大切にするか。

そして、これからの人生をどう使うか。

今まで散々、自分以外の事情に振り回されてきました。

だからこれからくらいは、

自分のために生きて、自分のために書く。

難聴が進行したとしても、自分の人生そのものまで誰かや何かに渡す必要はありません。

自分で決められないことが多かった人生だからこそ、

これから残っている時間くらいは、

自分の人生を自分に返したい。

今は、そう思っています。

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この記事を書いた人

◇難聴&持病と向き合い、独学でリハビリしながら、Kindle出版やブログ、YouTubeなどで自分に出来ることをコツコツ表現。
書店へ足繁く通い、読書の中で、国家資格も取得。伊藤塾司法試験本科生の法学士。読書冊数は4桁に上る。

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