【限界】田舎は頭おかしい?田舎を出たいと感じる理由を厳選!地方特有の息苦しさや閉塞感の正体とは?

「田舎の人間関係に疲れてしまった…」

「地方に住んでいると、自分の世界がどんどん狭くなっていく気がする」

豊かな自然や穏やかな暮らしが魅力として語られる一方で、実際に住んでみると強い閉塞感や生きづらさを抱える人は少なくない。

本来なら、

「自然が豊かで、静かで、人が温かい」

田舎暮らしというと、こうした肯定的なイメージで語られることが多いし、田舎には田舎の良さがある。

  • 自然が近い
  • 人混みが少ない

住宅費を抑えられる地域もある。都会の慌ただしさが苦手な人にとっては、むしろ田舎の方が快適ということもあるだろう。

しかし、私は逆のことを強く感じるようになった。

少なくとも、私は田舎に長く住み続けたいとは思わない。

その理由は、「コンビニが少ない」とか「遊ぶところがない」といった単純な話ではない。

私が、田舎で一番問題だと思っているのは、

「自分で選ぶ」という機会そのものが少なくなってしまうことだ。

住む場所、買い物、交通手段、病院、人間関係、情報、文化、価値観。

選択肢が少なければ、人間は次第に「自分が何を選ぶか」ではなく、「そこにあるものに自分を合わせる」ようになる。

私は、この状態がどうしても自分には合わなかった。

この記事では、長く地方で暮らしてきた私が感じている「田舎に住みたくない理由」を整理してみたい。なお、当然ながらすべての地方・すべての住民に当てはまるという話ではない。あくまで私自身の経験から見えてきた、地方生活の一つの側面として読んでほしい。

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目次

田舎暮らしが合わない最大の理由は「選択肢が少ない」こと

田舎暮らしのデメリットとして、

  • 電車が少ない
  • 店が少ない
  • 病院が少ない
  • 娯楽施設が少ない

といったことがよく挙げられる。

しかし、私にとって問題なのは「少ない」ことそのものではない。

その結果として、

「自分で選ぶことができない」

という状態になることの方が問題なのである。

都会なら、

  • 「この店が嫌なら別の店へ行こう」
  • 「この病院が自分に合わないから別の病院を探そう」
  • 「今日は美術館へ行こう」
  • 「本を探したいから大型書店へ行こう」
  • 「少し環境を変えて隣の街へ行こう」

という選択ができる。

ところが選択肢が極端に少ない地域では、

「これしかないから、これを使う」

という生活になりやすい。

つまり、結果的に、自分の生活に町を合わせるのではなく、

自分を町に合わせなければならなくなる

私が田舎暮らしに窮屈さを感じる最大の理由は、ここにある。

1.価値観の選択肢が少ない

人口が多い都会には、当然ながらさまざまな人がいる。

会社員もいればフリーランスもいる。

音楽をやっている人も、芸術をやっている人も、起業する人も、専門的な研究をしている人もいる。

生き方そのものの選択肢が多い。

一方、人口の少ない地域では、接する人間の絶対数が少ない。

そのため、地域内で「普通」とされる価値観の幅も狭くなりやすい。

田舎の価値観
  • 「普通はこうする」
  • 「みんなそうしている」
  • 「昔からそうだから」

という言葉が強くなると、個人が別の生き方を選択しにくくなる。

私はここに大きな息苦しさを感じる。

2.人間関係が「昔なじみ」で固定されやすい

地方では、小学校や中学校からの人間関係がそのまま何十年も続くことがある。

それ自体は決して悪いことではない。

長く付き合える友人がいることは素晴らしい。

「昔なじみ」の固定化の結果

しかし、人間関係が固定されすぎると、新しい人、新しい価値観、新しい情報が入りにくくなる側面もある。

いつ会っても同じメンバー。

いつ話しても昔の話。

地域外の人間と交流する機会も少ない。

違う人に出会える環境

私は、こうした環境よりも、

次々と違う人と出会い、違う考え方を知ることのできる環境の方がいいと感じる。

幕末の坂本龍馬も、当時では重罪であった土佐国を「脱藩」してまで、移動した。その結果として勝海舟など時代を動かしていった多くの人たちに出会い人生が変わっていった。

人との交流には「安心感」だけではなく、「自分の世界を広げてくれる刺激」や化学反応がある。

そのためには、”固定化”した人間関係は必ずしもプラスには働かない懸念がある。

3.新しい考え方が受け入れられにくい

人口の流動性が低い場所では、それまで続いてきたルールや価値観が維持されやすい。

そのため、

  • 「別の方法でもいいのでは?」
  • 「なぜこのやり方なのか?」

という問いそのものが歓迎されないことがある。

理由を尋ねても、

  • 「昔からそうだから」
  • 「みんなやっているから」

で終わってしまう。

しかし私は、「昔からある」というだけでは、その制度や慣習を絶対的に維持する理由にはならないと思っているが、それを言えば、「異端」として”小言”が返ってくる。

時代が変われば、生活も技術も人間の価値観も変わる。

変えるべきものは変えればいい。

少なくとも自分が体調を崩すほどストレスを感じるなら、それは自分に合っていないのは明白なのだから。

外国人が日本に来て好き勝手やるのとは次元が完全に違う。人の家に行って勝手に振る舞っていいワケじゃないと同様、外国人のそれとは違う。日本は自分にとって「我が家」だ。我が家のルールは自分で決めるのが普通だろう。外国人と違って遠慮はいらない。

こうした考え方が受け入れられない環境は、私には合わない。

4.良くも悪くも保守的になりやすい

もちろん「保守的」であること自体が悪いわけではない。

古い文化や地域の伝統を守ることには意味がある。例えば、日本の伝統文化は私も大好きだし守りたい。

しかし、

「守ること」と「変わらないこと」は違う。

新しい考え方を検討した結果、従来の方法を残すのであれば問題ない。

ところが、「変えること自体が悪い」という空気になってしまえば、社会は停滞する。

地方で生活した私が感じるのは、新しいものを導入するメリットより、

「今までと違うことをするリスク」

の方が大きく評価され、その不安感や不透明性を理由に排除されやすいということだ。

結果として変化が遅くなる→ さらに保守に傾いて変化しない → 成長しない

そして変化が遅い地域から、変化を求める人間が出ていく…。

これは地方衰退を考える上でも無視できない問題ではないだろうか。

5.子どもや若者が少なく、大人の価値観が優勢になりやすい

人口減少が進む地方では、子どもや若者そのものが少なくなっている。

すると当然ながら、地域社会では中高年層の価値観が多数派になる。

私はこれも重要な問題だと思っている。

世代交代による価値観の更新が必要なのに

本来、社会は世代交代によって価値観が更新されていく。

若い世代が、

「それ、本当に必要ですか?」

「もっと違うやり方があるのでは?」

と問い直すことで社会は変わっていく。

ところが若者が少なければ、その声自体が少数派になる。

若者が出ていく→ さらに高齢化する→ さらに従来の価値観が強くなる → そしてまた若者が出ていく。

この循環に入ってしまうと、地域を変えることはますます難しくなる。

6.近所がプライベートにまで入り込みやすい

田舎の人間関係の近さは、メリットにもデメリットにもなる。

  • 困ったときに助けてもらえる。
  • 顔見知りが多い。
  • 安心感がある。

その一方で、人間関係の距離が近すぎると、プライバシーとの境界線が曖昧になる。

  • 「どこへ行った」
  • 「誰といた」
  • 「最近何をしている」

といったことまで周囲に知られることがある。

嘘だと思う人がいたら、かなり性善説に立った脳天気な人だろう。実際、私自身これまでに腐るほど経験がある。高校生の男女が夜8時9時くらいに、外で”密会”するだけで翌朝「全校集会」して注意喚起するような場所だった。たかが学校が”男女の仲”にまで口を出す始末。

もっと自由でいい

私は、他人に迷惑をかけていない限り、人はもっと自由でいい

と思っている。

ただでさえ、現在の日本のシステムとして、『自由主義』を根底に作られているのは事実なのだから。

人間関係が濃いことと、他人の生活に踏み込んでいいことは別問題だ。

7.同調圧力が強くなりやすい

人口の少ない社会では、「周囲と違う人」が目立ちやすい。

都会なら100人に1人の価値観でも、人口が多いため同じ考え方の人を見つけられる。

しかし小さなコミュニティでは、少数派は本当に一人になってしまうことがある。

すると、

  • 「変わった人」
  • 「面倒な人」
  • 「みんなと違う人」

という扱いを受けやすくなる。

自分たちの事は棚に上げているのにもかかわらずである

その結果、人は発言することをやめる、目立たないようにする、周囲に合わせる。

私は、この「異質なものを排除する力」が強く働く環境が苦手だ。

なぜなら、私が”変わっている”からである。

社会に必要なのは、全員が同じになることではない。

違う人間が違うまま存在できることだと思う。

8.情報が入ってくる速度が遅い

勘違いしている人が多いと思うが、インターネット社会になっているとは言え、残念ながらインターネットでは通販で「モノ」は買えても、「体験」までは買えない。

確かに今は地方でもインターネットで世界中の情報を得られるが、さすがに「体験」はインターネットだけでは解決できない。

実際、私も東京にいたときには、田舎ではできない経験を多くできた。

  • 街を歩けば新しい店がある。
  • 大型書店へ行けば知らなかった本が目に入る。
  • 博物館、美術館へ行ける
  • 鮮度の高い情報をいち早く知ることができる
  • イベントに行けば、色んな業界人がいる。

つまり都会には、

偶然「情報」や「人」と出会う機会が多い。

この差は大きい。

「リアルな体験」はインターネットでは代替できない。YouTube”映像”で見るのと現地に実際に訪れてみるのとでは、「体験」は完全に違うと断言できる。

9.買い物や行動の選択肢が少ない

田舎ではスーパー、家電量販店、飲食店、書店など、日常的に利用できる店が限られている。

これは単なる利便性の問題ではない。

選択する習慣そのものに影響する。

都会なら、

「A店よりB店の方が自分に合う」

「今日はこっちへ行こう」

と比較できる。

しかし一つしかなければ比較できない。

「そこを利用するか、利用しないか」

しかなくなる。

私は人生において、この「比較して自分で選ぶ」という行為を非常に大切だと思っている。

10.図書館・博物館・美術館・大型書店が少ない

私が特に大きな問題だと思っているのが、知的環境である。

都会の環境の良さ
  • 蔵書数の多い図書館。
  • 専門書まで置いている大型書店。
  • 美術館、博物館
  • 大学などの教育施設や文化施設

こうした場所が身近にあるかどうかは、人間の成長に意外なほど大きな影響を与える。

「知りたい」と思った瞬間に、さらに深く知れる場所がある。

これは非常に重要だ。

インターネットがあれば十分だという意見もあるだろう。

しかし私はまったくそうは思わない。

本棚を眺めて偶然知らない本を発見すること。

美術館で実物を見ること。

博物館で専門的な展示を見ること。

知らなかった分野に偶然出会うこと。

こうした経験までオンラインで完全に代替することはできない。

知的環境の不足は、長期的には地域そのものに影響する

町を作っているのは道路でも建物でもない。

最終的には「人である。

ならば、本当に町を発展させたいのであれば、人が成長できる環境を作らなければならない

私は地方創生を考えるなら、道路や観光施設だけでなく、

教育、図書館、文化、若者への投資こそ重要なのではないか

と思っている。

※そのため、私は現在の遺言はそういった機関に指定してある。先人達に習った結果だ。そういった生き方がしたいと常々考えていたのだ。

11.病院を自分で選べない

これは娯楽施設が少ないこととは次元の違う問題である。

医療機関が少なければ、

「この医師とは合わない」

と思っても簡単には変えられない。

都会なら別の病院、別の専門医、別の大学病院などを探せる可能性が高い。

しかし医療機関そのものが少ない地域では、

「そこしかない」

という状況が起こる。

医療は人生や健康に直接関係する。

だからこそ、本来は複数の選択肢から自分で選べることが重要だと思う。

12.「車」がなければ生活しにくい

地方では、

「車があれば便利」

なのではなく、

「車がなければ生活そのものが成立しにくい」

そんな地域が少なくない。

電車は1時間に数本。

バスも少ない。

スーパーも病院も郊外。

このような町では、免許を持っていることが事実上の前提になっている。当然、身分証明書も普通免許が当たり前になっているが、体調不安や車嫌いなどから免許を返納した私からすれば、否定されている気分である。

車のデメリット

車には、車両代、保険、税金、ガソリン代、車検、修理費、駐車場代などが必要になる。

都会の家賃は高いとよく言われるが、

地方では「安い家賃+車」という固定費で考える必要がある。

私は徒歩と自転車や電車などで、生活できる環境の方が、自分の生活スタイルには合っているのではないかと感じている。少なくとも、車生活を今までに送ったことがまったくない。

13.移動できないことは「機会損失」につながるおそれ

交通の不便さは、単なる「移動時間」の問題ではない。

移動できなければ、

就職先も減る。

学校も選べない。

病院も選べない。

店も選べない。

文化施設へも行けない。

人にも会えない。

イベントにも参加できない。

つまり、移動とは「機会へのアクセス」なのである。

私はこの点が非常に重要だと思っているが、田舎ではそれらは制限されてしまう。

電車一本で複数の都市へ行ける場所と、車を30分走らせなければ隣町にすら行けない場所では、人生で接する選択肢の数が大きく変わってくる。

14.人口が少ない田舎ほど、行政権力の影響が大きくなってしまう

地方自治についても考えることがある。

人口が、数千・数万人程度の自治体だろうが、数百・数千万人の都会だろうが、知事や市長は基本的に一人である。

もちろん行政は首長一人で動いているわけではなく、議会や行政組織、法律上のさまざまな仕組みが存在している。

しかし、小さな自治体では、人口規模が小さい分、首長の政策や人事、地域社会との関係が良くも悪くも近くなる。

私はそこに、都市部とは違う「行政との距離の近さ」を感じる。

特に長期間、同じ人物や同じ人間関係が地域の意思決定に影響し続ける環境では、

権力や人間関係が固定化していないか

という視点を市民側が持つことは重要だと思う。

しかし、マイク放送など日常茶飯事で、およそ4年の任期の意味も考えず、特定の首長が長く居座っているのが現状。

そもそも20世紀の福祉国家の考え方では行政が肥大するため、21世紀に省庁再編が行われたのではないか。であるにも関わらず、田舎ではいまだに行政が主導しているようなイメージ。

これは誰か特定の首長が悪いという話ではない。

むしろ人口の少ない自治体だからこそ、議会、メディア、市民が行政をチェックする仕組みが重要になるという話である。

15.「町おこし」より先に「教育」へ投資すべきなのに…

地方では、

観光施設を作る。

イベントを開催する。

道路を整備する。

移住者を募集する。

特産品をPRする。

といった「町おこし」が盛んに行われている。

もちろん、それらも必要だと思う。

しかし私は以前から疑問がある。重要なのは、

町を作っているのは誰なのか。

結局、町を作っているのは人である。

ならば、最も長期的な町おこしは、

そこに住む人間を育てることではないだろうか。

  • 子どもが良い教育を受けられる。
  • 本を読める。
  • 芸術に触れられる。
  • 新しい技術を学べる。
  • 若者が挑戦できる。
  • 地域の外へ行って知識を得て、また戻ってくることもできる。

そうした環境を整える。

道路や建物なら完成した瞬間に成果が見える。しかし、これは選挙で”票を集めたい政治家”主導のプロジェクトである。

一方で、教育の成果は10年、20年経たなければ分からない。

だからこそ後回しになる。

しかし、これが何より重要である。

上杉鷹山や吉田松陰なども後進の教育に尽力した。

しかし長期的に地方を立て直すのであれば、私はインフラ整備と同じくらい、あるいはそれ以上に、

「教育」と「人的資源への投資」が必要だと思っている。

それが田舎には足りていていないため、それを欲する向上心のある人たちは、田舎を出るのだ。

田舎の問題は「不便」ではなく「自分を地域に合わせなければ」いけないこと

ここまで書いてきたことをまとめると、私が長期間、田舎暮らしをしたくない理由は非常にシンプルである。

店が少ないからでもない、娯楽が少ないからでもない。

自分の人生を自分で選択できる範囲が狭くなるから

選択肢が100個ある場所なら、自分に合うものを探せる。

しかし、

例えば、選択肢が2〜3個しかなければ、そのどれかに自分を合わせなければならない💧

もし仮に合わなかったらアウトである。

「嫌なら出て行く」しかない。

私はこれを長期間繰り返すことによって、人間まで環境側に最適化されてしまうのではないかと思っている。つまり、

「自分に合ったものを選ぶ」のではなく、「ここではこうするものだ」と考えるようになる。

環境に支配されるのは、それは私の望む生き方ではない。

都会に求めているのは「便利さ」だけではない

だから私が都会に求めているものは、華やかさではない。

高級レストランでもない。

タワーマンションでもない。

私が欲しいのは、

「選べる環境」だ。

行きたい場所を選べる。

病院を選べる。

店を選べる。

仕事を選べる。

人間関係を選べる。

学ぶ場所を選べる。

住む街を選べる。

そして嫌なら別の場所へ移動できる。

それは単なる「都会の便利さ」ではなく、

自分の人生に対する「主導権」の問題だと思っている。

田舎暮らしが向いている人もいれば、都会暮らしが向いている人もいる

もちろん、これは「都会が正しくて田舎が間違っている」という話ではない。

田舎の濃い人間関係を心地よいと感じる人もいる。

車が好きな人もいる。

自然の中で暮らしたい人もいる。

同じ地域で生涯生活することに安心感を感じる人もいる。

それなら田舎は非常に良い環境になり得る。

逆に私は、

新しいものを見たい。

知らない場所へ行きたい。

いろいろな人と会いたい。

本屋へ行きたい。

美術館や博物館へ行きたい。

疑問に思ったことをすぐ調べたい。

複数の選択肢を比較して自分で決めたい。

そういう生活がしたい。

だから田舎が合わない。しかし、親の不仲や借金、連帯保証、離婚、過干渉、介護、認知症などなど、あらゆる要因で手枷足枷が加わってしまった。

ましてや、自分が選んだ環境じゃない。

これは優劣ではなく、環境との相性なのだと思う。

まとめ|住む場所は「自分を町に合わせる」のではなく、自分で選んでいい

長く一つの土地にいると、

「ここで生きていくしかない」

と思ってしまうことがある。

しかし、本来そんな決まりはない。

住む場所も人生の選択肢の一つである。

今いる町に自分を合わせ続けなければ苦しくなるのであれば、自分に合う町を探してもいい。

田舎が合わない人間が、無理に田舎に適応する必要もない。

都会が合わない人間が、無理に都会に住む必要もない。

大切なのは、

「一般的に住みやすい場所」を探すことではなく、「自分が自分のままで生きられる場所」を探すことではないだろうか。

少なくとも私はこれから、

「この町にどうやって自分を合わせるか」

ではなく、

「自分は、どんな場所なら自分らしく生きられるのか」

という基準で、住む場所を選びたいと思っている。

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この記事を書いた人

◇難聴&持病と向き合い、独学でリハビリしながら、Kindle出版やブログ、YouTubeなどで自分に出来ることをコツコツ表現。
書店へ足繁く通い、読書の中で、国家資格も取得。伊藤塾司法試験本科生の法学士。読書冊数は4桁に上る。

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