親の都合に振り回された人生が、ようやく終わるとき

進学先、就職先、結婚のタイミング、実家の土地や家のこと。

気がつけば、自分の人生の大事な場面に、いつも「親の都合」が入り込んでいた。そんな感覚を持って生きてきた人は、少なくないと思います。

もちろん、親を一方的に悪者にしたいわけではありません。
ただ、子どもの側からすると、「自分で選んだ人生」というより、「親の事情に合わせ続けてきた人生」だったと感じることがあります。

そして、その振り回される日々には、ある日突然、区切りが来ます。

多くの場合、それは明るい出来事ではありません。
親の死、介護の終わり、役所の手続き、実家の片づけ、不動産の問題。そういう重くて静かな出来事としてやってきます。

この記事では、「親の都合に振り回された人生」が、どんな瞬間に終わったと感じるのか。そして、そのあとに残る複雑な気持ちと、どう向き合っていけばいいのかを書いてみます。

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難聴、持病でも人生再構築に努める、宅建士/FP2級/司法試験学習

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目次

「親に振り回される」とはどういうことか

「親に振り回された」と言っても、その形はいろいろあります。

たとえば、進学や仕事を選ぶときに、自分の希望よりも親の考えや世間体が優先された。
親の借金や事業の失敗に巻き込まれ、子どもなのにお金や生活の不安を背負わされた。
「あなたのため」という言葉で罪悪感を持たされ、自分の意思を出しにくくなった。
介護や世話を、きょうだいや親族の中で自分だけが引き受けることになった。
実家や土地の名義などの問題が整理されないまま、何十年も重荷になっていた。

形は違っても、根っこにある感覚は同じです。

「自分の人生なのに、自分でハンドルを握っていなかった」

この感覚です。

そして厄介なのは、親が亡くなったからといって、この感覚がすぐ消えるわけではないことです。
むしろ、亡くなったあとも役所、金融機関、親族とのやり取りなどが続きます。親の都合は、形を変えて、しばらく自分の生活に残ります。

「終わった」と感じるのは、親が亡くなった瞬間とは限らない

親に振り回された人生が終わったと感じるのは、必ずしも親が亡くなった瞬間ではありません。

むしろ、もっと後になって、すごく事務的な場面でふっと感じることが多いのではないでしょうか。

最後の書類にサインしたとき

何ヶ月も、場合によっては何年も続いた手続きの最後に、書類へサインをする。

その瞬間に、ふとこう思うことがあります。

「これで、もう自分がやることはないんだな」

そのとき、張りつめていたものが少しだけ緩みます。
悲しみというより、安堵に近い感覚かもしれません。

もう誰かに報告しなくていいと気づいたとき

親が生きている間も、亡くなったあとも、ずっと誰かに報告し続けてきた人は多いと思います。

親に報告する。
親族に説明する。
近所に気を遣う。
役所や金融機関に何度も事情を話す。

そういう日々が続くと、自分の人生なのに、いつも誰かの承認を待っているような感覚になります。

でも、ある日ふと気づきます。

「もう、誰にも報告しなくていいんだ…」

その瞬間、寂しさと同時に、少しだけ自分の人生が自分の手元に戻ってきます。

実家や土地の問題に目処がついたとき

空き家になるかもしれない実家。
名義が複雑な不動産。
古くなった建物。
解体費用、固定資産税、近所との関係。

実家や土地の問題は、精神的にも金銭的にも重いです。
しかも、簡単には片づきません。

だからこそ、処分の方向性が見えたり、費用の見通しが立ったり、「ここまでやれば区切りがつく」と分かった瞬間は大きいです。

「ああ、これ以上この家や土地、慣習や風習、凝り固まった狭い価値観、といったようなものに縛られ続けなくてもいいのかもしれない…」

そう思えたとき、人生の重りが少し外れます。

何でもない日に「今日は誰の都合も考えていない」と気づいたとき

一番深い区切りは、劇的な場面ではなく、普通の日に来るのかもしれません。

朝起きて、今日何をするかを自分で決める。
誰の顔色も見ない。
誰にも予定を合わせない。
誰かの機嫌を取るために動かない。

そのとき、ふと気づきます。

「やっと、自分の人生を生きていいのかもしれない…」

この静かな気づきが、実は一番大きな「終わり」なのだと思います。

終わったあとに来るのは、単純な解放感だけではない

親に振り回された人生が終わったとしても、そこにあるのは単純な自由だけではありません。

ほっとした自分に罪悪感を持つことがあります。
自由になったはずなのに、喪失感が残ることもあります。
ずっと誰かの都合に合わせて生きてきたせいで、「これから何をすればいいのか分からない」と感じることもあります。

しかし、それはおかしなことではありません。

長い間、何かに誰かに縛られ、緊張しながら生きてきた人が、「今日から自由ですよ!」と急に言われても、すぐに前向きになれるわけがありません。
心も体も、状況に追いつくまで時間がかかります。

だから、「解放されたのに元気になれない自分」を責める必要はありません。

自分の人生を取り戻すには、小さな選択からでいい

いきなり大きな夢を持たなくてもいいと思います。
立派な目標を掲げなくてもいい。
人生を一発で立て直そうとしなくてもいい。

まずは、小さなことを自分で決める。

今日何を食べるか。
どこへ行くか。
何にお金を使うか。
誰と距離を置くか。
どんな場所で暮らしたいか。

そういう小さな選択を、自分の判断で積み重ねていく。
それだけでも、「自分の人生を生きている」という感覚は少しずつ戻ってきます。

孤独は、人生の失敗ではない

家族がいなくなった。
親族、近所とも分かり合えない。

そういう経験をすると、自分だけが取り残されたように感じます。

でも、孤独であることは、人生に失敗したという意味ではありません。
家族に恵まれなかったことと、自分の人生に価値がないことは、まったく別の話です。

孤独はつらい。
でも、孤独だからこそ、もう誰かの都合に合わせなくていいという面もあります。

これからは、自分が安心できる距離感、自分が呼吸できる場所、自分が壊れずにいられる暮らし方を選んでいいのだと思います。

手続きの終わりと、心の終わりは別

色んな問題が終わっても、気持ちの整理まで同時に終わるわけではありません。

書類上は終わった。
でも、心の中ではまだ終わっていない。

それで普通です。

何十年も積み重なったものが、数日や数ヶ月できれいに消えるはずがありません。
手続きには手続きのペースがあり、心には心のペースがあります。

だから、焦らなくていい。
「もう終わったはずなのに、まだ苦しい」と思う必要もありません。

苦しさが残っているなら、それだけ長く耐えてきたということです。

今、正直に思うこと

僕自身、今ある資産を使い切ったら、その先をどう生きればいいのか分からないと思うことがあります。

子どもの頃から、自分の意思とは関係なく刻まれてきたものがあります。
まるで、嫌々入れられたタトゥーのように、親の事情や家庭の問題が自分の中に残り続けている感覚です。

それを消したくて、負の連鎖を断ち切りたくて、自分なりに頑張ってきました。

与えられた環境の中で、できることはしてきたつもりです。
難聴が進み、倒れて搬送され、後遺症も残り、それでも体調を少しでも戻そうとしてリハビリも続けてきました。

でも、正直かなり厳しいです。

家族は全員いなくなり、親戚や近所の人から心ない言葉を向けられることもありました。
そのたびに、人間の醜さのようなものを見せられた気がしました。

それでも、最後に残っているものがあるとすれば、それは「自分の人生を一度くらい、自分のために使ってみたい」という気持ちです。

誰かのためではなく。
親の都合でもなく。
世間体でもなく。
親戚や近所の目でもなく。

自分が本当に行きたい場所へ行く。
自分が見たいものを見る。
自分が安心して息をできる場所を探す。
自分の心残りを、ひとつずつ減らしていく。

それは、わがままなのかもしれません。
でも、これまであまりにも自分の人生を後回しにしてきたのなら、最後くらい、自分勝手に生きてみてもいいのではないかと思っています。

おわりに

親の都合に振り回された人生が終わる瞬間は、派手なものではありません。

最後の書類にサインしたとき。
誰にも報告しなくていいと気づいたとき。
実家や土地の問題に目処がついたとき。
何でもない日に、自分の都合だけで動いていると気づいたとき。

そういう静かな場面で、少しずつ終わっていくのだと思います。

ただ、終わったからといって、すぐに元気になれるわけではありません。
解放感、罪悪感、喪失感、怒り、疲れ、空白。
いろいろな感情が混ざったまま残ります。

それでも、その混ざった感情を抱えたまま、自分の人生を少しずつ取り戻していくことはできるはずです。

振り回された時間が長かったなら、取り戻す時間も長くかかって当然です。

急がなくていい。
立派に生き直さなくてもいい。
まずは、自分が今日を少しでも楽に過ごせる選択をする。

そこからでいいのだと思います。

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この記事を書いた人

◇難聴&持病と向き合い、独学でリハビリしながら、Kindle出版やブログ、YouTubeなどで自分に出来ることをコツコツ表現。
書店へ足繁く通い、読書の中で、国家資格も取得。伊藤塾司法試験本科生の法学士。読書冊数は4桁に上る。

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